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東京高等裁判所 昭和56年(行ケ)261号 判決 1983年12月19日

原告

津田政男

被告

特許庁長官

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第1当事者の求めた裁判

原告は、「特許庁が昭和56年8月26日に同庁昭和53年審判第10713号事件についてした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、被告は、主文同旨の判決を求めた。

第2原告主張の請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和47年12月23日、特許庁に対し、名称を「緩降機」とする発明につき特許出願をした(以下この出願にかかる発明を「本願発明」という。)が、昭和53年5月15日付で拒絶査定があつたので、同年7月11日、これに対する審判を請求したところ、特許庁は、これを同庁同年審判第10713号事件として審理した上、昭和56年8月26日「本件審判の請求は成り立たない。」との審決(以下「審決」という。)をし、その謄本は、同年9月19日原告に送達された。

2  本願発明の要旨

(1)  支持板上に回転可能に設けられロープ用のV字形溝を外周縁に有するロープ用プーリと、該プーリに近接して配置されロープが該プーリを略1周するよう案内する少なくとも3個の案内用小プーリと、ロープ用プーリの外周縁の側上方から側下方の範囲の位置に配置されスプリング力によりロープをV字形溝内に押しつける2個以上のロープ押え用ローラ(32)と、遊星大内歯車と複数個の遊星歯車と遊星太陽歯車とを含む遊星歯車装置と、遊星太陽歯車に連結されて回転するロータと、該ロータの外周縁に装架された複数のブレーキブロツクと、前記ロータとブレーキブロツクとを取囲んで配置され内側周縁に略V字形断面又は略板状断面をなすライニング材を有するハウジングとを含み、前記遊星大内歯車はロープ用プーリに固着されてこれと共に回転し、前記ハウジングは支持板に固定されかつ前記各遊星歯車を回転可能に固定的に支持しており、前記ロータの外周縁は各ブレーキブロツクの半径方向外方に向う運動と限定された範囲の円周方向相対運動を許すように側壁が設けられていることを特徴とする緩降機。

(2)  前記ロータに向つて軸方向に又は半径方向外方に摩擦ライニングを有するシユーを外部より操作可能の機械的レバー装置によつて押付ける機械的ブレーキ装置を設けて緩降機の始動を制御するようにしたことを特徴とする特許請求の範囲第(1)項による緩降機。(別紙A参照)

3  審決理由の要点

本願発明の要旨は、前項記載のとおりと認められる。

これに対して、実公昭35―12794号公報(以下「第1引用例」という。)には、上部取付孔を有する器枠に支軸を横設してカバーを取付けると共に外周部に適当数の支杆を備え、支軸の1側には緩嵌した溝車を備え、その内縁の相対する2点に張出部を形成して短軸を定着し、各短軸には遊星歯車を緩嵌し、遊星歯車に噛合する内歯輪を支杆に装着して器枠に固定的に取付け、条遊星歯車に内側で噛合する小歯車をその軸筒を支軸に緩嵌し、軸筒に固定した制動輪はその外周縁溝部を適当数分割して遠心力により外方に進出する遠心制動子を嵌装すると共に制動輪を被覆するように制動胴を設け、さらに器枠には案内転子を設けた火災避難用自動緩降機が記載され、同じく実公昭37―30833号公報(以下「第2引用例」という。)には、ロープ溝車の溝は車の外周に一条のV形溝を波形に作り、下部のロープ弛側に押圧ローラを置きバネの圧力によりV溝に押付け、上部にも同様のロープ押圧ローラを配置して溝へロープの圧着作用を与えロープのスリツプを防止する波形溝口ロープブロツクが記載され、同じく昭和7年実用新案出願公告第476号公報(以下「第3引用例」という。)には、主軸に固着した起動輪に無端綱を設け、歯車部を介して遠心調速機に連結し、この遠心力によつてブレーキ作用を行う円板、螺子により調節自在とした摩擦子を対設し、さらに引綱によりカムを作動し、その作用により制動子を円板を介して摩擦子に作用させる避難下降具(別紙B参照)について記載されているものと認められる。

次に本願の第1番目の発明と第1引用例とを比較検討すると、(1)本願の第1番目の発明がロープ用プーリの外周縁の側上方から側下方の範囲の位置に配置されたスプリング力によりロープをV字形溝内に押しつける2個以上のロープ押え用ローラを設けているに対し、第1引用例にはそれがない点、(2)本願の第1番目の発明が、遊星大内歯車はロープ用プーリに固定されて、これと共に回転し、ハウジングは遊星歯車を回転可能に固定的に支持されているのに対し、第1引用例の遊星大内歯車はハウジングに固定され、遊星歯車はロープ用プーリに回転自在に支持されている点、(3)本願の第1番目の発明が、ブレーキブロツクを限定された範囲で円周方向の運動を許すことができる隔壁内に設けたのに対し、第1引用例にはそれがない点において両者は相違すると認められるが、他に特に検討する相違点は見当らないものと認められる。

まず、前記相違点(1)については、第2引用例に記載されているところであり、これを本願の第1番目の発明に適用することは当業者が容易に想到するところのものと認められる。相違点(2)については、遊星歯車機構において、その大型内歯歯車、遊星歯車、太陽歯車の3者の歯車をそれぞれの使用態様において配設することは本出願前周知に属する技術的事項にすぎないものと認められるから遊星大内歯車をプーリ側に、遊星歯車をハウジング側にそれぞれ配設することは心要により当業者が採用できうる程度のものと認められる。相違点(3)について検討すると、ブレーキブロツクを限定された範囲で円周方向の運動を許すことができる隔壁内に設けた点は、格別の作用効果が見出せず、前記のように構成を限定した点に格別の意義が認められない。

したがって、本願の第1番目の発明は、第1引用例、第2引用例及び周知技術に基づいて当業者が容易に発明することができたものと認められるから特許法第29条第2項の規定により特許を受けることができないものと認められる。

次に、本願の第2番目の発明と第1引用例とを比較検討すると、(イ)本願の第2番目の発明がロープ用プーリの外周縁の側上方から側下方の範囲の位置に配置されたスプリング力によりロープをV字形溝内に押しつける2個以上のロープ押え用ローラを設けているのに対し、第1引用例にはそれがない点、(ロ)本願の第2番目の発明が遊星大内歯車はロープ用プーリに固着されて、これと共に回転し、ハウジングは遊星歯車を回転可能に固定的に支持されているのに対し、第1引用例の遊星大内歯車はハウジングに固定され、遊星歯車はロープ用プーリに回転自在に支持されている点、(ハ)本願の第2番目の発明がブレーキブロツクを限定された範囲で円周方向の運動を許すことができる隔壁内に設けたのに対して、第1引用例にはそれがない点、(ニ)本願の第2番目の発明が、ロータに向つて軸方向に又は半径方向外方に摩擦ライニングを有するシユーを外部より操作可能の機械的レバー装置によつて押付ける機械的ブレーキ装置を設けているのに対し、第1引用例にはそれがない点において両者は相違すると認められるが、他に特に検討する相違点は見当らないものと認められる。

前記相違点(イ)については、第2引用例に記載されているところであり、これを第2番目の発明に適用することは当業者が容易に想到するところのものと認められる。相違点(ロ)については、遊星歯車機構において、その大型内歯歯車、遊星歯車、太陽歯車の3者の歯車をそれぞれの使用態様において配設することは本出願前周知に属する技術的事項にすぎないものと認められるから遊星大内歯車をプーリ側に、遊星歯車をハウジング側にそれぞれ配設することは必要により当業者が採用できる程度のものと認められる。相違点(ハ)について検討すると、ブレーキブロツクを限定された範囲で円周方向の運動を許すことができる隔壁内に設けた点は、格別の作用効果が見出せず、前記のように構成を限定した点に格別の意義が認められない。相違点(ニ)ついては、第3引用例に記載されている機械的ブレーキ装置を第2番目の発明に適用することは当業者が容易に想到するところのものと認められる。

したがつて、本願の第2番目の発明は、第1引用例、第2引用例、第3引用例及び周知技術に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものと認められるから特許法第29条2項の規定により特許を受けることができないものと認められる。

4  審決を取り消すべき事由

審決は、後記のとおり、前記発明の要旨(1)記載の発明(以下「第1発明」という。)及び同(2)記載の発明(以下「第2発明」という。)と各引用例との対比において、相違点を看過し、かつ、相違点と認定している点についてもその対比判断を誤つた結果、第1発明及び第2発明が、各引用例に記載された発明から容易に発明できたとしたものであるから、違法としてこれを取り消すべきものである。

1 第1発明について

(1)  第1発明と第1引用例との対比における相違点の看過。

(1) 第1発明による緩降機は、自治省令を満足して型式承認(甲第8号証)を受けている実用的なものであり、第1引用例のような単なるアイデアを示す非現実的なものとは相違する。本願発明は多くの試作と多数回の作動試験を経た実用性のある緩降機を示しているのに対して、第1引用例は机上のアイデアにすぎないものである。

(2) 第1発明による案内用小プーリはロープ用プーリに近接して配置されロープがロープ用プーリを略一周するように案内するものであるのに対して、第1引用例の案内用プーリはロープ用プーリから略ロープ用プーリの径に等しい距離だけ離隔して配置されロープは略半周についてロープ用プーリに接して配置されている点について、両者は相違する。

案内用小プーリをロープ用プーリの周縁に近接配置したことは単にロープとロープ用プーリの接触する円周に対する中心角を大にする効果のみを有するものでなく、不使用時に緩降機を横位置として格納した場合におけるロープ用プーリからロープが横方向に脱落し又はV字形溝から外れるという不具合を最小とするもので、第1引用例と本願発明とにおけるロープ用プーリと案内用小プーリとの距離の差は作用効果において顕著な差をもたらすものである。

(2)  審決が(1)、(2)、(3)として掲記する各相違点に対する判断の誤り。

(1) 相違点(1)(ロープ押えローラの有無)について。

第2引用例は、波形のV字形溝にロープを収容しているものであるから、ロープに張力が作用すればロープは真直になろうとしてV字形溝から脱出する傾向を本質的に持つものであり、これを防止するためにロープ押えローラを設けることが不可欠の要件として要求されるものである。これに対し、第1発明におけるロープ押えローラは、緩降機が正常動作、すなわちほぼ一定速度で作動しているときは全く不要であり、緩降機使用の態様の特殊性に基づいて効果を発揮するものである。

まず、一般に緩降機は使用の初期において速度が急激に増加し、ある速度に達してブレーキ装置が作動すると速度の増加(加速度)が急激に減少するものであるが、こと場合弛み側のロープが過度にロープ用プーリに送りこまれ、ロープがロープ用プーリから外れる傾向がある。

さらに、一般に緩降機は不使用時は格納されていることが多く、その際例えば本願発明の第1図において支持板を下方として横位置に格納されたときロープがロープ用プーリのV字形溝から脱出する傾向があり、非常時の使用に際してロープがV字形溝内に確実に入つていることを確認しなければならないという不具合がある。

本願発明におけるロープ押えローラは、緩降機における右の点からくる特殊な要求を満足するものであり、正常な作動を行うために不可欠なロープ押えローラを示す第2引用例から当業者が容易に想到することができたものではない。

(2) 相違点(2)(固定される歯車の相違)について。

遊星歯車機構として大型内歯歯車、遊星歯車、太陽歯車のいずれか一つを固定歯車とし残りの二つの間に速度変換を行わせる機構自体は周知の技術的事項であるが、この場合どの歯車の軸あるいはどの歯車の回転を止めるかの選択により、異なる効果を達成する。本願発明の発明者は、緩降機の増速歯車装置としての遊星歯車機構について多くの試作と実験とを行つた結果、歯車相互間の遊隙が使用中に変動することに基づくブレーキ不作動現象の発生防止、耐久性摩耗などについて、第1引用例の機構と本願発明の機構とが同等でないことを見出したのである。

すなわち、第1引用例は太陽歯車を固定するのに対し、第1発明は遊星腕を固定するものであり、したがつて特に高速回転に適しており、このことから第1発明は第1引用例に対比して緩降機の小型化に有利であり、ロープ用プーリ軸とブレーキロータ軸との同心性保持が容易となるという顕著な効果を有しているものである。

(3) 相違点(3)(ブレーキブロツクの運動可能性の有無)について。

審決は、ブレーキブロツクを限定された範囲内で円周方向に運動できる隔壁内に設けたことについて格別の作用効果が見出せないとしているが、実際に緩降機を製作し、これについて多数回の繰り返し作動試験を行つた結果ブレーキブロツクを常に確実にハウジングのライニング面に向つて運動せしめるためには限定された範囲の有意の円周方向運動をブレーキブロツクが行いうるようにすることが不可欠であり、さもないと高い作動信頼性が得られないのである。

2 第2発明について。

(1)  審決が(イ)、(ロ)、(ハ)として掲記する相違点についての判断の誤り。

上記相違点(イ)、(ロ)、(ハ)は第1発明についての相違点(1)、(2)、(3)と同じであり、上記相違点(イ)、(ロ)、(ハ)に対する審決の判断の誤りは、前記1の(2)の(1)ないし(3)の記載のとおりである。

(2)  審決が(2)として掲記する相違点についての判断の誤り。

第2発明における機械的ブレーキ装置は緩降機の始動を制御するものであり、本願発明者は、試作にかかる緩降機について自ら多数回の降下を身をもつて体験し、従来の緩降機にあつては降下初期にほぼ自由落下に近い状態で降下が開始され、その後に主ブレーキ装置が作動して一度強い衝激を受けた後、緩速降下が開始されること及び降下初期は振子状に左右に振れその後次第に振れがおさまることを知得し、これらの点が降下者の不安感を助長し、緩降機が非常用避難器具として普及しない1因であることを知り、この問題点を解決するため始動制御を行う機械的ブレーキ装置を主制動装置に附加して設けたものである。

第3引用例には、遠心調速機による円板と摩擦子との間の主制動作用をカムによつて押入せしめられる制動子によつて増大せしめうるものとして記載されているが、図面に示す機構について考慮すれば、実際に人が降下する場合に作用する荷重について具体的考慮が払われているものとは考えられず、カムによる補助的制動作用は下降運動を停止せしめるものと記載されているが単なる希望的効果を述べたにすぎないものであり、実際に製造されないし販売されたものでもない。

したがつて、第2発明における始動を制御する装置を緩降機に設けることは従来技術に全く示されなかつたもので、著しい作用効果を有するものであり、第3引用例に示される機械的ブレーキ装置と同一視されるべきものではない。

(3)  本願発明については、容易推考を否定する事実として産業上の成功がある。

火災時における高層ビルからの脱出装置については、人命救助の必要から多くの研究、提案がなされてきた。

したがつて、もしそれが産業上有用なもので、しかもこれが容易に実施できるとすれば、当然当該分野においていち早くこれが採用され実施されていたであろうことが推測される。しかし、緩降機の分野において第3引用例は昭和7年、第1引用例は昭和35年の出願公告であるにもかかわらず、これらが実際の建築物に設置された例は皆無である反面、本願発明による緩降機は消防庁の型式承認を受け実際の建築物に設置されるに至つており、それが容易に考えられるものであれば、本願発明についての特許出願前他の技術者が採用していてしかるべきである。

この点からしても審決の容易推考論は誤つている。

第2請求の原因に対する被告の認定及び主張

1  原告主張の請求の原因1ないし3の各事実(特許庁における手続の経緯、本願発明の要旨及び審決理由の要点)は認める。

2  審決を取り消すべきであるとする同4の主張は争う。原告主張の審決取消事由は、時記のとおりいずれも理由がなく、審決には、これを取り消すべき違法はない。

1 第1発明について。

(1)  相違点の看過について。

(1) 原告主張の取消事由1の(1)の(1)に対して。

原告は本願発明のものが、自治省の型式承認を受けたとして甲第8号証を提出しているが、甲第8号証の型式承認を受けたとするものが本願発明のものかどうかは知らない。

さらに、本願発明は、多くの試作と多数回の作動試験を経た実用性のある緩降機であるとする点及び第1引用例は机上のアイデアにすぎないとする点は、伺い知りうるものではなく、構造に関する事項を伴つていない主張である。したがつて、相違点に該当するものとはいえない。

(2) 同(2)に対して。

原告は、本願発明における案内用プーリは、ロープがロープ用プーリを略一周するように案内する旨主張するが、完全な一周ではなく、また、第1引用例においても、ロープは、略半周以上案内されており、両者におけるロープの掛つているロープ用プーリの円周長さの大小の差は程度の問題であつて、しかも、本願発明では、そのようにした点の作用効果について明細書では示されていない。

したがつて、この点は、格別の相違点というべきものではない。

(2)  相違点に関する判断の誤りについて。

(1) 原告主張の取消事由1の(2)の(1)に対して。

原告が第2引用例及び第1引用例におけるロープ押えローラの各作用効果の相違として主張する点については、いずれも各明細書に記載がなく、失当である。

第2引用例には、バネによる押圧ローラ11、12、13をロープ弛側に配置することにより、ロープは溝斜面に圧着され、両者の間に摩擦を誘起する、その上にV溝が波形をなすため摩擦は倍加され、スリツプを防止する、と記載されている。このことは、バネによる押圧ローラ11、12、13によつて、ロープは溝斜面に圧着されて摩擦によつてスリツプを防止するということである。

そして、本願発明の明細書における第4頁第5ないし末行及び第8頁第10行ないし第9頁第2行の各記載により認められる第1発明の構成及び効果をみると、第2引用例及び第1発明においては、ともに、押圧ローラ(第1発明ではロープ押えローラに相当する。)はロープをロープ溝車(第1発明ではロープ用プーリに相当する。)に対して押え、ロープの飛び上り、スリツプを防止するものであつて、明細書記載の範囲では、相違点(1)が第2引用例に記載されており、この記載から当業者が容易に考えられるとした審決に誤りはない。

(2) 同1の(2)の(2)に対して。

一般に、遊星歯車は、遊星大内歯車と、遊星歯車と、遊星太陽歯車とからなるもので、遊星歯車減速装置は、この遊星歯車を用いるものであつて、これら3つの歯車の内、どれを駆動にするか、被動にするか、固定するかによつて、それぞれ増減速が行われるが、このこと及びその変速比については、乙第1号証刊行物、同第2号証刊行物の記載からして本願発明の特許出願前周知であり、また、緩降機において遊星歯車を用いることも第1引用例からみて同様周知である。そして、緩降機は、ロープ用プーリ側とブレーキ装置側とからなり、これら両者を連結するのに遊星歯車を用いるものであるから、態様としてこれら3つの歯車の選択(駆動にするか、被動にするか、固定にするか)をどうするかは、当業者が必要により採用しうる程度のものとした審決に誤りはない。

(3) 同1の(2)の(3)に対して。

本願発明の明細書の第6頁第6ないし第9行及び第9頁末行ないし第10頁第9行に、ブレーキブロツクを限定された範囲で円周方向の運動を許すことができる隔壁内に設けた点の構成について記載されているが、上記構成による格別の作用効果の記載はなく、このように構成を限定した点に格別の意義が認められないから、ブレーキブロツク(第1引用例では遠心制動子に相当する。)がフランジ部(第1引用例では制動輪に相当する。)内でフランジ内に設けた室から自然に脱落することなく、かつ、遠心力で外方に向つて進出するように支持した点で本願発明と第1引用例は実質的に同じ範囲にあるものであるから、両者は実質的差異が認められないとした審決に誤りはない。

2 第2発明について。

(1)  原告の取消事由2の(1)に対して。

上記主張が失当であることは、前記1の(2)の(1)ないし(3)記載のとおりである。

(2)  同2の(2)に対して。

第3引用例には、建物に取り付けられた避難下降具の起動輪4の回転を聯動歯車7、8、9を介して螺歯軸10に伝え、この回転速度に応じて螺歯車10にある遠心調節機11を介して円板12が摩擦子13に触れ、その回転速度を調節するとともに必要によりカム17を回動する引綱18を引くと制動子15が弾条16に坑して動き、円板12を強く摩擦子に圧迫し、その回転を阻止する。そして、引綱18を引く動作により、必要に応じて階上よりまたは下降者自ら、その下降運動を停止するものである、と記載されている。

したがつて、第2発明と第3引用例は、ともに機械的ブレーキ装置を備えており、その操作時期を、状況の判断などからして、始めにするか、途中で行うか、最終点で行うかの問題は、使用上の必要に応じて適宜選択して決定されるべき事項にすぎないものであるから、第1発明において、機械的ブレーキ装置を附加したことにより、従来技術になかつた始動制御装置による著しい作用効果をあげたものとすることはできない。

3  同3に対して。

緩降機の歴史が古い点は認めるが、これらが実際に建築物に設置された例は皆無とする点は不知であり、本願発明者による緩降機が消防庁の型式承認を受けたとする点については、本願発明のものを型式承認されたかどうかは知らない。また、特許法の保護対象とは異なる領域であり、仮に、型式承認されたものが、本願発明のものであり、かつこれが実際に建築物に設置されたからといつて、これをもつて、特許法で保護すべきものとすることはできない。

以上のとおりであるから、本願発明は、第1引用例、第2引用例、第3引用例及び周知技術に基づいて当業者が容易に発明することができたとした審決に誤りはない。

第4証拠関係

当事者双方の書証の提出及びその認否は、訴訟記録中の書証目録記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

理由

1  原告主張の請求の原因1ないし3の各事実(特許庁における手続の経緯、本願発明の要旨及び審決理由の要点)については、当事者間に争いがない。

2  そこで、審決取消事由の存否について検討する。

(1)  原告主張の第1発明に関する取消事由1の(1)の(1)(相違点看過の(1))について。

原告は、第1発明による緩降機が実用的なものであるのに対し、第1引用例のものは単なるアイデアを示す非実用的なものである点において両者は相違する旨主張するが、成立について争いのない甲第3号証によれば、第1引用例のものは、その構成により一応緩降機としての所期の効果をあげうるものとみることができ、原告の主張によつても、これがその構成のいかなる部分に欠陥があつて非実用的であるのか不明であるから、実用性の点において両者が相違するということはできず、原告の上記主張は採用できない。

(2)  同1の(1)の(2)の(相違点看過の(2))について。

前記甲第3号証によれば、第1引用例における3個の案内転子(第1発明の案内用小プーリにあたる。)は溝車(第1発明のロープ用プーリにあたる。)とやや離れて設けられていることが認められるが、一般に、プーリにロープを確実に巻込み、巻出しするために、その案内用小プーリをできるだけプーリに近接して配置することが従来の慣用手段であることは、当裁判所に顕著なところであり、近接して配置することにより原告が主張するような効果をあげうることは容易に予測できることであるとともに、緩降機において、案内用小プーリをプーリに対してどのように配置するかは単なる設計事項にすぎないとみるのが相当であることを考えれば、審決が原告主張の点を相違点として取り上げなかつたことをもつて、相違点看過の違法があるとすることはできない。

(3)  同1の(2)の(1)(ロープ押えローラの有無の相違)について。

成立について争いのない甲第4号証によれば、第2引用例のロープブロツクには、波形のV形溝を有する溝車の弛側の上方と下方及び締側の上方にそれぞれスプリング力によるロープ押圧用ローラが設けられ、これらの押圧用ローラが、巻上げ巻下しの際にロープ溝車の波形V溝にロープを確実に嵌入させて、スリツプ防止とロープのV溝からの脱出を防止しているものであることが認められるところ、原告が緩降機における特殊な要求と主張する点も結局はロープのV字形溝からの脱出防止につきるものというべきであるから、第2引用例のものも作用効果において第1発明におけると差異はないとみるべきであり、したがつて、審決における相違点(1)は、第2引用例から当業者が容易に想到しうるとした審決の判断には誤りはなく、原告の上記主張は理由のないものといわざるをえない。

(4)  同1の(2)の(2)(固定される歯車の相違)について。

成立について争いのない乙第2号証(特に第25頁の表―1)の記載及び弁論の全趣旨によれば、一般に、遊星歯車装置は、遊星大内歯車と遊星歯車と遊星太陽歯車とからなり、これら3つの歯車のうちどれを駆動にするか、被動にするか、固定にするかによつてそれぞれ増減速が行われるものであること及びその各場合の減速比が、本願発明の特許出願前周知であることが認められる。ところで、前記甲第3号証によれば、第1引用例に示すものは遊星大内歯車を固定し、遊星歯車すなわち遊星腕を駆動して遊星太陽歯車を受動させるようにしたものであることが認められるが、これを前記争いのない本願発明の要旨にみられる第1発明の構成のように、遊星腕を固定し、遊星大内歯車を駆動して遊星太陽歯車を受動させるようにすることは、前記周知技術に照せば、緩降機の設計にあたつて考慮すべき選択事項にすぎないというべきである。なお、原告は、第1発明のものは第1引用例のものに比して高速回転に適しているから緩降機の小型化に有利であり、また、ロープ用プーリ軸とブレーキロータ軸との同心性保持が容易となる顕著な効果を奏すると主張しているが、例えば、第1発明の増速比を2.5とした場合、第1引用例のものでは3.5になる関係にあることは計算上明らかであるから、ロープ用プーリの径を小さくして高速回転させることができるといつてもその差は僅かであり、また、ロープ用プーリを小さくし過ぎるとロープとの摩擦あるいは係脱に問題が生じ緩降機としての安全性に影響を及ぼすことが予想されるから、結局、原告の主張する効果は特に顕著なものとはいえず、設計上予測可能なものというべきである。さらに、ロープ用プーリとブレーキロータ軸との同心性保持の容易さについては、第1引用例のものにおいても遊星大内歯車の固定方法について適当な慣用の手段を選定すればよく、設計上容易に解決できる問題ということができ、こと点も格別顕著な効果とはいえない。

(5)  同1の(2)の(3)(ブレーキブロツクの運動可能性の有無)について。

ブレーキブロツクを限定された範囲内で円周方向に運動できる隔壁内に設けた点について、原告は格別の作用効果を主張しておらず、また、その構成をみても上記の点に特段の技術的意義があるとも考えられないから、第1発明と第1引用例が上記の点で実質的差異があるとすることはできず、この点に関する審決の判断に誤りはない。

(6)  原告主張の第2発明に関する取消事由2の(1)(相違点についての判断の誤り)について。

前記本願発明の要旨によれば、第2発明は後記7に記載した点を除き第1発明と同一の構成を有しているものと認められるところ、上記の両者に共通する構成に関して、審決に相違点の看過ないしは相違点についての判断の誤りがないことは、前記1ないし5に記載したとおりであるから、原告の上記主張は失当である。

(7)  同2の(2)(ブレーキ装置附加についての判断の誤り)について。

成立について争いのない甲第5号証によれば、第3引用例には、機械的ブレーキ装置について、「引綱18ヲ引下クレハ制動子15ハ円板12ヲ強ク摩擦子13ニ圧迫シ其回転ヲ阻止ス……必要ニ応シテハ階上ヨリ又ハ下降者自カラ其下降運動ヲ停止セシムルヲ得ルモノニシテ」と記載さていることが認められるところ、上記記載によれば、第3引用例のものにおける機械的ブレーキ装置は、必要に応じて操作されるものであり、したがつて、第3引用例には、緩降機の始動制御も示唆されているというべきである。

上記に反する原告の主張は採用できない。

(8)  原告主張の本願発明に関する取消事由3(容易推考性についての判断の誤り)について。原告は、本願発明にかかる緩降機は、消防庁の型式承認を受け、実際の建築物に設置されており、産業上の成功があるから、各引用例に基づいて本願発明の進歩性を否定したのは誤りである旨主張するが、発明・考案等について産業上の成功が得られるかどうかは、その時の経済・社会等諸般の情勢に影響されることも多く、必ずしもその発明・考案の進歩性と関連符合するものとはいえないから、仮に本願発明にかかる緩降機につき原告主張のような産業上の成功が得られたとしても、そのことは、前記各引用例の記載及び周知技術から容易に発明することができたとする認定判断を左右するものではなく、原告の上記主張も理由のないものといわなければならない。

以上のとおりであるから、原告主張の審決取消事由はいずれも理由がなく、審決にはこれを取り消すべき違法の点はないものというべきである。

3  よつて、審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第7条、民事訴訟法第89条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。

(石澤健 楠賢二 岩垂正起)

<以下省略>

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